特例子会社で働く決意をするまでの経緯
改めて私の職歴を記載しますと
薬品会社(工場)に約7年勤務しました。
その後ベンチャー企業の民泊業にて外国人対応と社内SEを数カ月行い
ネジ工場に転職し、クレーム対応と社内SEを2年半行いました。
上記は全て一般企業だったのですが、私自身世渡りが下手で気が強い人を苦手としており(HSPです)、対人関係や仕事でも常に悩んでいました。
現場の情報量が多かったり、対処の仕方がわからないことが多すぎて常に不安でパンク状態でした。
マニュアル化されていた仕事やシンプルな仕事は問題なくこなすことが出来ていましたが、人間関係やマニュアル化されていない仕事などでは対処法がわからず、ストレッサーになっている事も多かったです。
現状の特例子会社の職場では基本的にはマルチタスクにならないように大体1日中同じ仕事をしています。
またほとんどの仕事にマニュアルもあるため、対処に困ることはほぼありません。
現状、人間関係も良好ですが、万が一、人間関係に困っても、頼りになる上司がサポートしてくれるという安心感があります。
私の場合は7割が事務の仕事、残り3割を社内SEの仕事をしています。
社内SEは独学でExcelのVBAマクロを覚え、会社の許可を貰って業務を効率化していき社内SEになりました。
薬品会社に居た頃に始めは製造部に居たのですが、製造部がかなりの肉体労働でマルチタスクが多い部署でした。
毎日が納期の締め切りで会社全体が毎日ピリピリしていました。
この環境が合わなかったのともともと持っていた気質もあり、うつ状態になりました。(品質管理に居た屈強な人は製造部は楽しそうだから製造部に行きたいと言っていました…)
そして、会社に報告し、減給して簡単な仕事の部署に異動になったのですが、かなりホッとしたのを覚えています。
製造部に居た時は深夜までの残業も多く、ストレスから毎日不眠で希死念慮が強く大変でしたが、認知行動療法や自分に合う薬を探して長い年月をかけて不眠と希死念慮は落ち着いていきました
今でもかなりストレスがかかると不眠や希死念慮になりますが、相性が良い抗うつ剤などが分かっているので頓服としていつでも飲めるようにして何とか対処できていますし頻度としては数ヵ月に1度中程度の症状が出る程度です。
薬品会社では7年くらい働いたのですが、上司が部署を解体する、詳細は決めてないと言い出し、
「お前はどうしたい」と言われましたが、何がなんやらわからず頭が真っ白になりました。
結局製造部に戻る話なども出たことや大学の時の恋人がどうしてもこの時期に結婚したいと言っており、押し切られて結婚式の準備をしたりでストレスを強く感じ不眠と希死念慮が強く出てしまい、休職して退社しました。
結婚式のときはちょうど、休職中だったのを覚えています。
そんなこんなで結婚した嫁さんとも2年後ぐらいにはやっぱり私自身が安定して働けないのもあったのと価値観の相違から離婚をしました。
休職中、最初は寝たきりで不眠と希死念慮がひどかったのですが、数ヵ月もすると少し動けるようになり次の仕事を探すのをかなり焦っていました。
もう就職できないんじゃないかっと嘆いていました。
しかしそんな事もなく民泊業やネジ工場で内定をもらうことが出来ました。
人生悲観した通りにもいかなかったりします。この辺りもうつ病に多い認知の歪みですね。
「捨てる神あれば拾う神あり」と今では思っています
ただ、前の薬品会社で7年働いて何もスキルを持っていないという焦りからスキルを身に着けようとしました。
結果としては私には簡単なプログラミングの才能があったようで、仕事が終わってからネットの情報でWindowsのコマンドプロンプトやExcelのVBAを勉強し、会社の許可を経て業務を効率化することが出来ました。
私が実際に行ったプログラミングの勉強法もまた、実際に記事を作りたいと思っています。
民泊業では社長が常に新規開拓を行っており、過去のお客さんを大切にしていないと私には感じられたことと私の苦手とする気が強く、論理よりも声量で押し切るタイプに感じられたため合わないと感じ数ヵ月で転職しました。
ネジ工場っではある時期に人が多数辞めてしまった結果、相対的に私自身の役職が急に上がり、1日前まではクレーム対応の平社員だったのが突然クレーム対応の最高責任者になってしまいました。
また、クレーム対応はお客さんと生産部の社員の板挟みになっているのもストレスでした。
色んなアプローチを製造に試しましたがことごとく敵対されてしまい、かなりストレスでした。
クレーム対応の仕事で最高責任者になる話はかなり勇気を出して何度も断りましたが、聞き入れてもらえず、最高責任者になったことで生産部からの敵対も強くなってしまい、再び不眠と希死念慮が出てきて休職し退職となりました。
ネジ工場では2年半働きました。
また続かなかった…とかなり悩みました。
かといってストレスが溜まりすぎると、不眠と希死念慮が出てきてまともに働けなくなってしまう…。
かなり悩んだ末、通っていた心療内科から障害者雇用のパンフレットを見つけて、うつ病だと障害者枠で働けることを知りました。
そして、ネジ工場後もしばらく寝たきりだったのですが、元気になってきたので就労移行支援事業所に通って、障害者枠として就職を目指すことにし、特例子会社で働くことになりました。
1年間、障害者枠(特例子会社)で働いた感想としてはかなり快適に働けている気がします。
やっぱり上司が優しく(私には合っている)、月に1回定期的に相談出来たり、
ほぼすべての仕事がマニュアル化されていたり、人間関係でも特段悩むことが少ないため、かなり快適です。
月に1回の面談では上司が人間関係や業務で困ってないかを聞いてくれるのも助かっています。
仕事の量や質の調整も一般企業より容易に行えます。
私自身、上司に相談するのも苦手としていたのですが、私が困っていると上司の方からも「最近、大変でしょ?」と声をかけてくれるのでその点もかなり助かっています。
社員同士でも敵対する社員もおらず、平和だなと感じて仕事をすることも多いです。
しかしながら、ミスをすれば当然注意されたり、口調は優しいですが叱られたりもします。
上司の他にも会社所属のカウンセラーさん(男の人と、女の人がいる)や就労継続支援のスタッフも最長3年6カ月色んな悩みを相談できるのも大きいと思います。
業務時間内に定期的にカウンセリングがあるのでカウンセリング自体受けやすいです。
仕事でミスした時や、起こった事象について客観的なアドバイスや視点を貰えますので
色んな気づきや自分の考え方の偏りに気づくヒントを貰えることもありました。
次回は、就労移行支援事業所についてお話ししたいと思います。
私の場合は7割が事務の仕事、残り3割を社内SEの仕事をしています。
社内SEは独学でExcelのVBAマクロを覚え、会社の許可を貰って業務を効率化していき社内SEになりました。
薬品会社に居た頃に始めは製造部に居たのですが、製造部がかなりの肉体労働でマルチタスクが多い部署でした。
毎日が納期の締め切りで会社全体が毎日ピリピリしていました。
この環境が合わなかったのともともと持っていた気質もあり、うつ状態になりました。(品質管理に居た屈強な人は製造部は楽しそうだから製造部に行きたいと言っていました…)
そして、会社に報告し、減給して簡単な仕事の部署に異動になったのですが、かなりホッとしたのを覚えています。
製造部に居た時は深夜までの残業も多く、ストレスから毎日不眠で希死念慮が強く大変でしたが、認知行動療法や自分に合う薬を探して長い年月をかけて不眠と希死念慮は落ち着いていきました
今でもかなりストレスがかかると不眠や希死念慮になりますが、相性が良い抗うつ剤などが分かっているので頓服としていつでも飲めるようにして何とか対処できていますし頻度としては数ヵ月に1度中程度の症状が出る程度です。
薬品会社では7年くらい働いたのですが、上司が部署を解体する、詳細は決めてないと言い出し、
「お前はどうしたい」と言われましたが、何がなんやらわからず頭が真っ白になりました。
結局製造部に戻る話なども出たことや大学の時の恋人がどうしてもこの時期に結婚したいと言っており、押し切られて結婚式の準備をしたりでストレスを強く感じ不眠と希死念慮が強く出てしまい、休職して退社しました。
結婚式のときはちょうど、休職中だったのを覚えています。
そんなこんなで結婚した嫁さんとも2年後ぐらいにはやっぱり私自身が安定して働けないのもあったのと価値観の相違から離婚をしました。
休職中、最初は寝たきりで不眠と希死念慮がひどかったのですが、数ヵ月もすると少し動けるようになり次の仕事を探すのをかなり焦っていました。
もう就職できないんじゃないかっと嘆いていました。
しかしそんな事もなく民泊業やネジ工場で内定をもらうことが出来ました。
人生悲観した通りにもいかなかったりします。この辺りもうつ病に多い認知の歪みですね。
「捨てる神あれば拾う神あり」と今では思っています
ただ、前の薬品会社で7年働いて何もスキルを持っていないという焦りからスキルを身に着けようとしました。
結果としては私には簡単なプログラミングの才能があったようで、仕事が終わってからネットの情報でWindowsのコマンドプロンプトやExcelのVBAを勉強し、会社の許可を経て業務を効率化することが出来ました。
私が実際に行ったプログラミングの勉強法もまた、実際に記事を作りたいと思っています。
民泊業では社長が常に新規開拓を行っており、過去のお客さんを大切にしていないと私には感じられたことと私の苦手とする気が強く、論理よりも声量で押し切るタイプに感じられたため合わないと感じ数ヵ月で転職しました。
ネジ工場っではある時期に人が多数辞めてしまった結果、相対的に私自身の役職が急に上がり、1日前まではクレーム対応の平社員だったのが突然クレーム対応の最高責任者になってしまいました。
また、クレーム対応はお客さんと生産部の社員の板挟みになっているのもストレスでした。
色んなアプローチを製造に試しましたがことごとく敵対されてしまい、かなりストレスでした。
クレーム対応の仕事で最高責任者になる話はかなり勇気を出して何度も断りましたが、聞き入れてもらえず、最高責任者になったことで生産部からの敵対も強くなってしまい、再び不眠と希死念慮が出てきて休職し退職となりました。
ネジ工場では2年半働きました。
また続かなかった…とかなり悩みました。
かといってストレスが溜まりすぎると、不眠と希死念慮が出てきてまともに働けなくなってしまう…。
かなり悩んだ末、通っていた心療内科から障害者雇用のパンフレットを見つけて、うつ病だと障害者枠で働けることを知りました。
そして、ネジ工場後もしばらく寝たきりだったのですが、元気になってきたので就労移行支援事業所に通って、障害者枠として就職を目指すことにし、特例子会社で働くことになりました。
あらため特例子会社で1年働いてみて
1年間、障害者枠(特例子会社)で働いた感想としてはかなり快適に働けている気がします。
やっぱり上司が優しく(私には合っている)、月に1回定期的に相談出来たり、
ほぼすべての仕事がマニュアル化されていたり、人間関係でも特段悩むことが少ないため、かなり快適です。
月に1回の面談では上司が人間関係や業務で困ってないかを聞いてくれるのも助かっています。
仕事の量や質の調整も一般企業より容易に行えます。
私自身、上司に相談するのも苦手としていたのですが、私が困っていると上司の方からも「最近、大変でしょ?」と声をかけてくれるのでその点もかなり助かっています。
社員同士でも敵対する社員もおらず、平和だなと感じて仕事をすることも多いです。
しかしながら、ミスをすれば当然注意されたり、口調は優しいですが叱られたりもします。
上司の他にも会社所属のカウンセラーさん(男の人と、女の人がいる)や就労継続支援のスタッフも最長3年6カ月色んな悩みを相談できるのも大きいと思います。
業務時間内に定期的にカウンセリングがあるのでカウンセリング自体受けやすいです。
仕事でミスした時や、起こった事象について客観的なアドバイスや視点を貰えますので
色んな気づきや自分の考え方の偏りに気づくヒントを貰えることもありました。
次回は、就労移行支援事業所についてお話ししたいと思います。
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